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建築コラム
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木という素材の魅力(3)

 ところが近年は、木造建築に対する認識が不当に歪められてしまいました。例えば、伊勢湾台風が甚大な被害をおよぼしたとき、日本の建築学会は「木造建築禁止決議」を行っています。阪神大震災のときは、建築基準が厳しいはずのビルや高速道路まで倒壊したので、さすがにそんな暴論は出ませんでした。それでも多くの木造住宅が倒壊したので、やはり在来工法の木造住宅に対する風当たりはかなりあったようです。

 しかし、問題の本質が一体どこにあるのかを冷静に考えなければなりません。木造住宅は、基礎と構造材・工法さえしっかりしていれば、優れた耐久性を発揮できるのですからー。高度成長期のマイホーム政策によって、マイホームの需要が飛躍的に伸びた時期がありました。ところが、当時建てられた一戸建ての寿命はせいぜい30年。実際には平均26年程度で建て替えを迫られるような低規格の住宅が多かったのです。コスト優先、納期優先のような事業環境の中で、知識も技術も未熟なにわか職人や業者が横行しました。

 その延長で、大工や左官などの職人を必要としないプレハブ住宅がマーケットを占めるようにもなりました。また、最近では大工といっても、ノミやカンナが使えない、電動工具だけで仕上げてしまうい、サシガネも使えなければ墨付けもできない人が増えています。これは大きな問題です。なぜなら、伝統的技術や仕事の価値観は、一度失われてしまうと回復することが非常に困難になるからです。日本の木造建築は、現在そのような危機的課題に直面 しているのです。

 地球上にはさまざまな民族が暮らしており、言語や宗教はもちろんのこと、衣食住の習慣やライフスタイルなども実に多様です。しかしながら、衣服は戦後の半世紀で完全に欧米化が定着し、食文化も大きく変化しました。そして、住宅もまた大きく変貌しつつあります。住宅が住みやすさを追究するのは当たり前のことですから、座卓がテーブルになれば、フローリングの部屋が必要になりますし、ガラス戸や雨戸は木製よりアルミサッシの方が優れています。また、腐りやすい物干し台よりも、ベランダの方が良いでしょう。つまり、新旧の融合によって、より生活しやすい住宅に変わってきたのは一つの節理です。



木という素材の魅力(2)

 一般的に金属やコンクリートの素材には冷たさを感じる一方、木からは温かさを感じるのではないでしょうか。しかし、耐久性などと異なって、優しさとか、温かさなどの心理的なファクターはなかなか数字に表現できません。  木には、多湿のときは湿気を吸収し、乾燥したときには湿気を放つ調湿機能があることや、熱伝導率が低いので建物自体の温度変化が少ないことなどが、快適性に結びついていることは確かです。

 さらに、素材の違いを示す興味深いデータがあります。それは、木製、金属製、コンクリート製の箱の中で生まれたばかりのマウスを飼育した実験データです。それによると、生後23日間の生存率が、木製では85.1%、金属では41.0%、コンクリートでは6.9%という結果 でした。コンクリートで生まれたマウスは130匹中わずか9匹しか生き残らなかったのです。

 生き残ったマウスを比べても、成長の度合いや健康状態に大きな差がありました。また、ストレスからくる無意味な行動は木製で80回、金属で230回、コンクリートでは290回におよび、母親は子育てに熱心でなくなったり、場合によっては子供を噛み殺してしまうケースもあったそうです。  マウスの実験ですから、そのまま人間に当てはまるわけではないでしょうが、医学的な基礎データの採取にもマウスが使われているのですから、まったく無関係と決めつけることはできません。

 こうしたデータに配慮したのでしょうか、最近は学校や公共施設などで内外装に木材を多用する事例が増えてきました。もちろん、建築資材は、国や地域の気候風土によって違います。日本建築は古来から木造であり、匠たちの磨き上げられた知恵と技術が“木の文化”を育んできました。



木という素材の魅力(1)

 築300年近い古民家の例を一つご紹介しましょう。埼玉県比企郡小川町にある吉田家住宅は江戸時代前期の民家で、現在は一般 公開されています。茅葺きの入母屋造りで、間取りは「三間広間型」といわれる江戸時代の典型的民家です。西側半分に畳敷き2間(計22畳半)と、ほぼ同じ広さの板敷き広間があります。東側半分は土間になっていて、さらにその土間の半分が厩(ウマヤ)になっています。

 1984年の調査のとき、柱に貼られた棟札が見つかりました。それは、建設時の祈祷札で1721年に建てられたことが判りました。1989年には国の重要文化財に指定され、96年度から3カ年かけて建物の解体修理(国庫補助事業)が行われました。解体された木材の8割はそのまま現在の建物に再利用されています。

 この吉田家住宅のような古民家は全国の市町村にはまだまだいっぱい残されています。寺院であれ、民家であれ、木という建材には一般 に考えられている以上の耐久性があることをお解りいただけたと思います。また、木の魅力として、優しさや、温かさを挙げる人が多いようです。



古代建築と匠の知恵(6)

 一方、室町期の傷んだ建造物は“節の無い木を使って丁寧に組まれていた”そうです。山の南面 に育った木は枝が多いので当然節の数も多く、北面の木は逆に枝が少ないために節が少なくなります。「育成した場所の方位 のままに使え」という口伝を守れば、建物の南側の木は節が多く、北側には節の少ない木が使われていなければなりません。節の無い木を選んで組むという作り方自体が口伝を無視したことになります。また、宮大工の松浦昭次氏は、著作の中で、室町時代に登場した大鋸が用材の質を低下させたと説いています。工具の発達が用材の質を低下させるというのはどういうことでしょうか。

 木には木目があります。長さ六尺(約182センチ)の大鋸が登場するまでは、原木から用材を得るために木目に沿って木を割り裂いていました。短い鋸では大木を挽くことができないからです。ところが、両端を持って2人掛かりで挽く大鋸を利用することで、木目に関係なく強引に製材することが可能になりました。工具の発達は、製材の生産効率をあげましたが、木目を利用した製材法に比べると、用材の質は悪くなってしまったのです。

 さらに、江戸時代になると、それまで大切にされてきた木組みの技術よりも、金物の利用に頼るようになりました。建築期間の短縮、コストの低減は実現しましたが、建造物の耐用年数は著しく短くなってしまいました。それでも、200年〜300年の時を耐えて現存する木造建造物は珍しくありません。しかも、寺社や武家屋敷の造営のように潤沢な資金と最高の資材を投入したものではない一般 的な民家もたくさん残されているのです。



古代建築と匠の知恵(5)

 それでは、古代建築のこだわりについて、少しその意味を考えてみましょう。例えば、法隆寺の中でも建造物の建立時期が、飛鳥時代から中世の室町時代にかけて様々な年代にわたっています。それらの中で、室町時代の建造物が飛鳥時代の建造物の約半分にあたる600年程度で傷んでしまったという、西岡常一氏の指摘に触れてみたいと思います。氏は“室町時代の建物が宮大工の口伝を守らなかったから”と断言しています。では、古来から伝わる宮大工の口伝とは一体どのようなものなのでしょうか。とくに“木”に関わる事柄をいくつか挙げてみましょう。

・「用材は木を買わず、山を買え」 これは、用材を調達する場合の心得として、伐採される前の木を山ごと買いなさいということです。とくに製材された木では、どのような条件下で育った木なのか判りづらいので、木の癖が掴みにくく適材適所の活用が難しくなります。
・「木は育成した場所の方位のままに使え」  山の南側の木は建物の南側に使い、北側の木は北に、東側の木は東に、西側の木は西に用いなさいということです。さらに、山の中腹から上の木は風雪にさらされて育ったので癖もあるが強く、構造材に適しているし、谷に近い木は素直に育っているので、癖はないが強度もあまりないので造作材に合っています。
・「木組みは寸法で組まずに癖で組め」  木は生き物ですから、ネジレなどの癖を知り尽くして癖と癖を殺し合うように木を組まなければなりません。木の癖を無視して寸法で組んでも、建物は大きく狂ってしまい耐用年数が半減してしまいます。木の耐用年数ぎりぎりまで建物の寿命を延ばすためには、木の癖を組む巧みな技術が欠かせないのです。そして、1本1本の木の癖を見抜くためにも、木を買うときは山を買えということになるわけです。  法隆寺五重塔や金堂を解体修理したときに、その“癖組み”は完璧だったと、西岡氏は先人たちの知恵と技術を絶賛しています。



古代建築と匠の知恵(4)

 私たちには、旧いものよりも、新しいものの方が優れているとか、進んでいるとか、それを当然のように思い込んでしまう習慣があります。確かに法隆寺の五重塔に比べれば、東京都庁の高層ビルの方が高さも遙かに高いし、規模も機能もケタ違いです。しかし、あの都庁を含めた高層ビルが1300年後に残っているでしょうか。また、私たちには、古代の人よりも現代人の方が学問があり、知恵もあると思い込んでいますが、現代建築が五重塔の構造から耐震構造を学んだのは、歴史的にごく最近のことなのです。

 先に述べたように、法隆寺には国宝や重要文化財など超一級の寺宝が200件近くもあります。それらが今日まで無事に守り伝えられてきたのは、先人たちの価値観、知恵や技術など、後世に伝えるべき“無形の文化”が法隆寺に凝縮されていたからに他なりません。建築物がただの箱であるならば、新しい箱を造って中身を移せばそれで済んでしまうのですから…。

 少し余談になりますが、日本書紀の中(神代)に面 白い記述があります。素戔嗚尊(スサノオノミコト)が“…髭を抜いて放つと杉の木になった。胸の毛を抜いて放つと檜になった。尻の毛は槙の木になった。眉の毛は樟になった。そして用途をきめられて、いわれるのに、「杉と樟、この二つの木は舟をつくるのによい。檜は宮をつくるのによい。槙は現世の国民の寝棺をつくるのによい…」と”。つまり、用途として宮の造営には檜が適していると書かれているのです。ちなみに法隆寺に使われているのは檜の心材(赤身)です。心材は周囲の白太といわれる部分よりも強くて腐りにくいという利点があるからです。



古代建築と匠の知恵(3)

 法隆寺の棟梁だった故・西岡常一氏は、昭和9年から20年間にわたって同寺院の解体修理に携わった経験を著作の中で、「創建以来初めての解体修理でした。そのとき室町時代に建てられた建造物も修理せなならんでしたよ。室町のものは六百年しかたってないんでっせ。それでも修理せなならんかったほど傷んでいたんですわ」と述べています。つまり、室町時代の建造物は、飛鳥時代の半分しか耐用年数がなかったわけです。耐用年数が半減した主な理由を氏は、古来から伝わる「宮大工の口伝を守らなかった」と指摘しています。

 木組みの技術の粋を集めた建造物が五重塔です。長く張り出した美しい屋根は、上層の加重によってバランス良く支えられています。そして、木組みによる“逃げ”“遊び”とよばれる余裕が、塔に優れた耐震強度を与えています。ただし、奈良時代以降、国分寺に建立された七重塔は一棟も現存していませんから、木造建築としては五重塔が限界であったのかも知れません。ちなみに、東京では上野寛永寺、池上本門寺(解体修理中)、浅草浅草寺(空襲で焼失・戦後再建)などの五重塔が、安政の大地震や、あの関東大震災を耐え抜いています。



古代建築と匠の知恵(2)

 この法隆寺には、驚くことに38件の国宝と151件もの重要文化財があります。そして、国宝に指定されている38件のうち、なんと木造建造物が18件(古代建築が12棟)を占めています。木造の古代建築物がなぜ1000年を超える驚異的な歳月に耐え、現在もなおその美しい容姿を保っているのでしょうか。高さ32メートルもある木造の五重塔がなぜ風雪や地震に耐えて、1000年以上もそびえつづけているのでしょうか。それには幾つかの理由が考えられます。

 まず、法隆寺の創建が、仏教を基調に国を治めるという聖徳太子の政策に沿った国家的プロジェクトの1つであったこと。それは中国から渡来した建築様式を含め、飛鳥時代にわが国が持ち得た最高の建築技術を導入して造られたことを意味します。もちろん、建築用材にも最高の材料(高樹齢の檜)が用いられています。将作大匠(造営工事を担当した官職)の指揮によって優れた腕の工人たちが集められたことでしょう。そして、江戸時代以降も痛んだ部材を交換するなどの修理事業が、宮大工たちの手によって連綿と継承されてきたのです。



古代建築と匠の知恵(1)

 日本に現存する最古の木造建築は奈良県生駒郡斑鳩町にある『法隆寺』です。法隆寺は、歴史や美術の教科書には必ず載っていますし、私たちには非常に馴染み深い寺院の一つです。創建はおよそ1400年前の推古天皇15年(607)。推古天皇の摂政であった聖徳太子によって創建されました。

 日本書紀の中に法隆寺が天智天皇9年(670)、4月に“一舎も残らず焼失した”という内容の記述があるため、現存の建造物については、再建・非再建・再建時期などをめぐって1890年以降さまざまな論争が繰り広げられてきました。 しかし、論争の結末がどうであれ、国宝である金堂、五重塔などの代表的建造物が、現存する日本最古、かつ世界最古の木造建造物であるという事実は、揺らぐものではありません。(法隆寺は1993年に日本初の世界遺産として登録されました)



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